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深夜急行バス路線展開において、近年目を瞠るのが対千葉路線の伸長である。というか、それこそ本企画を取りまとめる原動力にもなっているのだが、ここで改めてその中心線となる「京成グループvs.平和交通」の展開状況を整理しておきたい。
深夜急行バス路線展開において、近年目を瞠るのが首都圏68路線中実に20路線を占める(2011/09現在)対千葉路線の伸長。というか、それこそ本企画を取りまとめる原動力にもなっているのだが、ここで改めてその中心線となる「京成グループvs.平和交通」の展開状況を整理しておきたい。

*きっかけは平和交通?(~1989) [#c9fe13c6]
-「深夜急行バス」が登場したのは1989/07の東急ミッドナイトアロー高速青葉台線から。折しもバブル絶頂期、東京都心部でタクシー難が生じたことと、ライフスタイルの深夜化ないし終夜化とあいまって運輸省が深夜公共交通強化の旗振り役となり実現に至ったのだが、翌年までに首都圏では18社局34路線がされる中、その大半が大手事業者だったところに唯一異端と感じられたのが平和交通だった。
-平和交通創業者の吉田裕成氏は雑誌インタビューで「深夜急行バスは私の発案」との旨答えているほか、現代表である吉田平氏も別の取材で同趣の発言をしている。ただし、いわゆる夜行便でない深夜(中距離)バスという形態自体は1970年代にも東京で試行されたり、鉄道補完的に阪急バスが運行していたりと必ずしもオリジナルではないことに注意しておきたい。
-実は運輸省が深夜公共交通強化を打ち出す前年の1987/01に第4回関東地方交通審議会で千葉県地域交通計画が諮問されているのだが、吉田氏はその委員を務めており、席上同趣の発言を行ったのが採用された形のようだ(なお、関東運輸局に同議事録の閲覧を確認したが、10年保存により現存していないとのことで仔細不明)。ともあれ、それらによってプレーヤーシートが与えられたと考えればすんなりくる。
-平和交通創業者の吉田裕成氏は雑誌インタビュー((PRESIDENT 1999.10 特集 吠える社長「泣き言を言う前にやるべきことがあるバス業界、案外捨てたものではない」p168))で「あのアイデアを最初に出したのも私なんです」との旨答えているほか、現代表である吉田平氏も別の記事((トラモンド2005/06/27 回転木馬 [[接続サービスの価値>http://www.tramondo.fudou-san.jp/old/0506/27/kaiten.htm]]))で同趣の発言をしている。運輸省が深夜公共交通強化を打ち出す前年の1987/01に第4回関東地方交通審議会で千葉県地域交通計画が諮問されているのだが、裕成氏はその委員を務めており、席上同趣の発言を行ったのが採用された形のようだ(なお、関東運輸局に同議事録の閲覧を確認したが、10年保存により現存していないとのことで仔細不明)。ともあれ、それらによってプレーヤーシートが与えられたと考えればすんなりくる。
-ただし、いわゆる夜行便でない深夜(中距離)バスという形態自体は1970年代にも東京で試行されたり、鉄道補完的に1950~70年代に阪急バスが運行していたりと必ずしもオリジナルではないことに注意しておきたい。

*「若葉の戦」は平和に軍配(1990~1996) [#qcf7b242]
-とはいえ、深夜急行バス対千葉路線の端を切ったのはやはり京成。東急に遅れること約半年、1989/12/18に有楽町→船橋駅・津田沼駅・稲毛駅・千葉駅間でスタート。次いで1990/02/28に東京空港交通が新宿→検見川浜駅・稲毛海岸駅・千葉みなと駅間に、東武が有楽町マリオン前→柏駅・高田車庫間に路線開設。平和交通は同年04/16に数寄屋橋→若松台間で深夜急行バスデビューとなった。
-とはいえ、深夜急行バス対千葉路線の端を切ったのはやはり京成。東急に遅れること約半年、1989/12/18に有楽町→船橋駅・津田沼駅・稲毛駅・千葉駅間でスタート。次いで1990/02/28に東京空港交通が新宿→検見川浜駅・稲毛海岸駅・千葉みなと駅間に、東武が有楽町マリオン前→柏駅・高田車庫間に路線開設。平和交通は同年04/16に数寄屋橋→新検見川駅・稲毛駅・都賀駅・若松台小学校間で深夜急行バスデビューとなった。
-すると京成は05/28、有楽町マリオン→新浦安駅・稲毛海岸駅/松戸駅・五香駅にも路線開設し3系統化。09/10には早くも路線再編を行い下記の通り4系統化を実施した。
--新橋・有楽町→新浦安駅・行徳駅前4丁目・稲毛海岸駅・千葉駅
--新橋・有楽町→新検見川駅・稲毛駅・都賀駅・千城台駅・千城台車庫
--新橋・有楽町→船橋駅・津田沼駅・八千代台駅・勝田台駅・京成佐倉駅
--新橋→新検見川駅・稲毛駅・都賀駅・千城台駅・千城台車庫
--有楽町→金町駅・松戸本町・新松戸駅・常盤平駅・五香駅
-このうち千城台車庫系統は平和交通とかなりカブるものとなったが、察しが早い方ならお気づきのはず、4系統のうち3系統は実質現存しているものの、この千城台車庫系統は1996/05頃に運行終了に至っている。時を前後して平和交通は1995年に幕張ベイタウン地区への停車化と四街道・千代田団地入口への延伸を実現。「若葉の戦い」は平和に軍配が上がる形となったのである。
-このうち千城台車庫系統は平和交通とかなりカブるものとなったが、察しが早い方ならお気づきのはず、4系統のうち3系統は実質現存しているものの、この千城台車庫系統は1996/05頃に運行終了に至っている。時を前後して平和交通は1995年に幕張ベイタウン地区への停車化と四街道・千代田団地入口への延伸を実現。「若葉の戦」は平和に軍配が上がる形となったのである。

*泰平の眠りを覚ます?平和の房総方面進出(1997~2007) [#n64a81a5]
-とはいえ、バブル崩壊とともに深夜急行バスも冬の時代を迎え、1992~1998年までに11路線が撤退、残存路線も現状維持が精一杯という状況に。京成も運行3路線のうち佐倉線を2000/07の佐倉営業所独立分社化に伴いちばグリーンバス(以下CGB)に移管している。
-片や1997年に全国初の提案型競争の末に京成バスとの路線バス共同運行により海浜幕張エリア進出を果たした平和交通は、2004/02に独自ICカード「タウンバスカード」を導入、深夜急行バスを含めて20%引きという施策は2008/05のPASMO切替後も継続(ただしバス特非対応)するなど独自路線を伸長。そして2005/07/01に2路線目となる外房大網線を、翌2006/12/01には派生型となる内房五井線を開設し房総方面への進出を果たすことに。更に2007/03/01には同系の団地交通(現あすか交通)が千葉大網線で深夜急行バスに参入。同線の愛称名「マイタウンライナー」は2009/12の昼行線進出を境にグループ高速バスの愛称ともなっている。
-バブル崩壊とともに深夜急行バスも冬の時代を迎え、1992~1998年までに11路線が撤退、残存路線も現状維持が精一杯という状況に。京成も運行3路線のうち佐倉線を2000/07の佐倉営業所独立分社化に伴いちばグリーンバス(以下CGB)に移管している。
-片や1997年に全国初の提案型競争の末、京成バスとの路線バス共同運行により海浜幕張エリア進出を果たした平和交通は、2004/02に独自ICカード「タウンバスカード」を導入、深夜急行バスを含めて20%引きという施策は2008/05のPASMO切替後も継続(ただしバス特非対応)するなど独自路線を伸長。そして2005/07/01に2路線目となる外房大網線を、翌2006/12/01には派生型となる内房五井線を開設し房総方面への進出を果たすことに。更に2007/03/01には同系の団地交通(現あすか交通)が千葉大網線で深夜急行バスに参入。同線の愛称名「マイタウンライナー」は2009/12の昼行線進出を境にグループ高速バスの愛称ともなっている。

*京成の新機軸-「深急」から「マイタウン・ダイレクト」へ(2008~2009) [#s8171e61]
-1998年には24路線(うち対千葉6路線)となっていた深夜急行バスは、2002/02の乗合バス事業規制緩和と前後して再び増加に転じる。国際興業と京王、東武が活発な動きを見せる中、2007/12には千葉の高速バス形態を変えた東京湾アクアライン路線で10年目にして初の深夜便が2路線誕生。小湊・日東が参入を果たす。
-いっぽう、アクアライン路線昼行便で大きな手応えを得ていた京成だったが、深夜急行バスについては慎重姿勢。平日片輸送というニッチ過ぎる形態が必ずしも収益を生むわけではなかったのか、長らく運行してきた五香線を2008/02、成田空港交通(以下成空交)に移管している。
-しかし前後する2008/01/16、ついに意欲的な新路線を開設-「深急」新橋新浦安線である。既存の新橋千葉線の前、新橋23:30・24:00発(当時)の2本が設定されたが新浦安へはそれぞれ終電前、いわゆるホームライナー的な設定となったのである。
-そして翌2009年、構想40年たる言葉を引っさげて「マイタウン・ダイレクトバス」(以下MDB)2路線を開設。うち東京ベイシティ交通との共同運行である新浦安ルートでは深夜便が2便設定され、「深急」も存続したことから1時間内に4本が雁行することとなった。

*「成田の陣」でガチンコ勝負勃発(2010) [#l556f0f5]
-京成の動きと前後して路線移管を受けた2社も動きを見せる。CGBは2006/10から新橋佐倉線の船橋駅・津田沼駅途中乗車扱を開始。更に2008/08には船橋佐倉線を新設する。2008/02に新橋五香線の移管を受けた成空交は早速同年6月から千葉NT中央駅延伸とともに金町駅・松戸本町途中乗車扱を開始し潜在需要発掘に努めた。途中乗車扱は平和交通の各路線でも当時展開されており習ったものともいえようか。
-するとその平和交通、2010/01/18に4路線目となる成田線を新設すると発表。四街道線が海浜幕張~稲毛、若葉区エリアを縫って走るのと比べて稲毛エリアから四街道方面に直行することで、週末を中心に増車対応が行われていた四街道線の救済と勢圏拡大を狙ったものと考えられたが、経路を見ると前年京成が運行開始したMDB千葉北ルートを多分に意識しているものとも思われた。結果的に京成グループが激しく反応、まず01/22にCGB船橋佐倉線の成田延伸、02/16からは千葉北ルートへの深夜便設定、そして08/02にはCGB路線再編により船橋成田線が新橋始発となり、平和成田線を挟み討ちにする構図となったのである。
-更に京成グループは2010秋のMDB第2弾ではユーカリが丘ルートで千代田団地・ユーカリが丘エリアを締めたほか、千城台ルートでは実に14年振りに同エリアへの深夜便復活を成すに至っている。

*そして「北総の変」でグループ内競争も?(2011) [#ff291e12]
-2011/04、葛西奥戸線で都内東部路線も開設した京成に対し、平和交通は05/09に千葉NT線を開業。空白域となっていた総武線・東武野田線エリアを埋めるとともに、成空交が松戸経由で到達時間の遅い千葉NTエリアに攻め入るカタチとなるや、京成グループも対抗。07/01には「深急」のうち後1便を西船橋駅・桐畑まで延伸し、平和交通が前年に各路線で大幅縮小した途中乗車を西船橋駅で実施し行田団地方面深夜バスの補完も考慮。更に07/25には成空交が新橋成田線を新設。西船橋駅まで直行すると木下街道を駆け上がり、千葉NTエリアから京成成田駅まで到達することとなった。
-しかしこの成空交新橋成田線は諸刃の剣となる可能性も…経路は違えどCGB新橋成田線と都心部を10分差での出発となる上、成田までではCGBが3300円のところ成空交は2000円という思い切った運賃設定に。加えてCGBの津田沼→成田間が2700~2800円なのに対し、成空交の西船橋→成田はなんと1000円ポッキリ。平和交通も慌てて09/05に最大25%の運賃値下げで対応するなど、陣取り合戦から変容する可能性も孕んでいる。

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